前世戦士の映画日誌

前世が戦士らしい女が映画を観て色々吐き出します 生態日誌です

『モータルコンバット』真田広之がカッコいい、それが全て(ネタバレしてるかもしれない)

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私がTwitterでフォローしている映画好きの皆さんは、このところ『モータルコンバット』で盛り上がってます。私はほとんどゲームをやらないので元ネタはよく知らないのですが、残酷描写が満載、かつ、真田広之が出てると来れば、観ないわけにはいきません。

世界的人気を誇る対戦型格闘ゲームで、1995年にも一度映画化されている「モータルコンバット」を、新たに実写映画化。胸にドラゴンの形をしたアザを持つ総合格闘技選手コール・ヤングは、自身の生い立ちを知らないまま、金を稼ぐために戦う日々を送っていた。そんなある日、魔界の皇帝シャン・ツンがコールを倒すため、最強の刺客サブ・ゼロを送り込む。コールは特殊部隊少佐ジャックスに言われるがまま女戦士ソニア・ブレイドと合流し、地球の守護者ライデンの寺院へ向かう。そこでコールは、太古より繰り広げられてきた格闘トーナメント「モータルコンバット」の存在と、自分が魔界の敵と戦うために選ばれた戦士であることを知る。主人公コール役に「デッドプール2」のルイス・タン、女戦士ソニア役に「MEG ザ・モンスター」のジェシカ・マクナミー。日本からも真田広之浅野忠信が参加し、重要キャラクターのスコーピオンとライデンをそれぞれ演じる。(映画.comより

正直にいえば、映画そのものについては、物足りなかった。だってせっかくの15禁映画なのに、大したゴア描写もなく終わってしまい。
場内明るくなったとき思わず、「えっ、これだけ!?」って声が出そうになっちゃったよ……。

……だってだってだってだって!(子供か)

原作ゲームで有名な、噂の頭を脊髄ごと引っこ抜くヤツ、めっちゃ期待してたのよ!!(ゲームしないのにそういう情報だけは持っている)
あのね、ホントに心底から、心のド底辺から期待してたのよ!

なのに、ゴアっぽいご死体様は、4体だけ!
4体だけって!
4体だけって!

すみません、ちょっと錯乱してます、落ち着きます。

アクションは全般的に良かったんですけどね。期待してたのがそこじゃなかったもんですから。
確かに残酷描写はあったけど、そこに不謹慎さがない。いけないことが起きてる感がない。人類側は思っていたほどひどい目にあってないし。

魔物が臓物撒き散らしたところで、別に残酷って特に思わない、です、よ、ねえ……?それとも私の求めるものが、方向性間違ってるんでしょうか。

 

……が!ハンゾウを演じた真田広之には大満足!!!!!

影の軍団*1以来40年以上、つまり子供の頃からわたくし、「理想のタイプは真田広之を貫いてきました。
真田広之に限り、役者としてのファンではなく、純粋に顔と体と身体能力が男性として直球ド真ん中の好みなんです、はい。
どれぐらい好みかっていうと、全く興味のないドラマ『高校教師』*2だって観ましたからね。毎週、真田広之が観られるから、というだけの理由で。もちろん内容は覚えてない。

え? だから結婚できないって?
違います、妥協したから、元カレどもは揃いも揃ってダメンズばっかりなんです。
やっぱりね、人間後ろ向きの妥協はあかんです。それで結果、独りで生きてくはめになるのなら、それならそれでよし。
少なくとも別れ話がこじれた末に、車から飛び降りて逃げる必要はない(徐行速度です)。

それはともかく、やっぱりアクションあってこその真田広之。久々に大満足、冒頭10分と終盤10分だけで、万馬券当たったような気がしています。

いやこれ、監督、真田広之が撮りたかっただけなんじゃないの?
どう考えても、真田広之の出てるシーンだけ、完成度が異様に高過ぎやないですか。
カッコいい真田広之をよりかっこよく撮るためにどうすればいいのか、その為だけに絶対何度もミーティングして金もぶちこんでるだろ?

ご存知の通り、真田広之はほぼ完全に活動の軸足をアメリカに置いています。もう長いこと、海外エンタメでしか会えない男です。
この映画を観ていると、日本のエンタメには真田広之を生かせる世界がないなと思います。
過去作を見れば、アクションだけでなく、正統派のドラマからコメディまで、演技の幅が広いことは一目瞭然。
でも、一番しっくりくるのは、派手で大袈裟な演出、現実とかけはなれた世界、そんなヤツいねーよ!と突っ込みたくなるキャラクター。並みの役者なら、ただのオーバーアクトになって「うぜぇ」と思わず声に出してしまうのが常の私。

でも真田広之は、どんなあり得ないキャラクターでも、何の違和感なく「カッコ良く」存在できるナチュラル・ボーン・歌舞伎男なのです!!

スピード・レーサー*3とか、そうじゃないですか。あの演出は大失敗だと思うのだけど、浮きまくった役者たちの中で、真田広之だけは妙に現実感を伴って存在しいた。いや、あの派手でワケわからん演出に一切飲まれないのですよ。

そんな人ですから、いまのアメコミ流行りの映画に本当によく似合う。演出も合うんだと思います。

日本でマンガを原作にアメコミみたいな映画を作ると、正直、演出がいかにもマンガから脱却できずにマンガっぽさが残りすぎて苦手です。
それに中心人物の設定がティーンの場合が多く、洋の東西問わず、青春というキーワードに1ミリも興味が持てないため、観ても内容がまったく頭に入らないってこともあります。

マンガもいいんだけどさ、日本には狂った小説も多いんですよ。もう誰も『魔界転生*4みたいな映画、作ってくんない。『帝都物語*5みたいなのでもいい。
ああ、若き日には『幻魔大戦*6や『妖星伝』*7や『神州纐纈城』*8が実写でみられる日がこないかなあと思ってましたが、こないんだろうなあああああああ。
その全ての世界観に、真田広之は似合うんだけどなあああ。

千葉新一の生み出した最高に二枚目でカッコいいキテレツ役者を、日本は結局活かせなかった。
思えば、真田広之が日本映画から去った頃から、私が邦画を観る頻度は激減しました(もともと多くはなかったが)。何かがシンクロしているのかもしれません。

 

……えー、自分でも何の話をしているのかまったくわからなくなってきました。
真田広之が桁外れにカッコ良すぎて、自分が何を観たのか映画自体はすでに内容はボヤけております。
ただただ真田広之だけが、真田広之史上最高を更新したアクションと存在感で、脳内リピートされています。
でもそれでこの映画としては十分じゃないかと思います。
続編求む!
もちろん真田広之だしてね!

*1:千葉真一と彼の率いるジャパン・アクション・クラブ(JAC)というアクション俳優やスタントマン・スタントウーマン育成軍団による、80年代のトンデモ忍者時代劇ドラマ。私の中では影の軍団JAC真田広之JAC所属で『影の軍団Ⅱ』から登場。

*2:高校教師が生徒どどーかなる話だったような気がする

*3:日本のアニメ『マッハGoGoGO』を原作に作った映画。『マトリックス』という超ド級ヒット映画を産んだウォシャウスキー姉妹が作ったのに、彼女たちの原作アニメへの思い入れが強すぎて、観てるこっちはどう接してあげればいいのかわからない映画になっている。

*4:日本が誇る伝奇小説作家 山田風太郎の超代表作を原作に、深作欣二が監督、主演は千葉真一という、賭けてもいいが世界一すげー暴力とエロと毒々しい美にあふれた時代劇映画。沢田研二真田広之のキスシーンがある。ああ、深作欣二が恋しい。

*5:荒俣宏という伝奇・SFの歩く宇宙みたいな作家による、明治末期以降の日本を舞台に怨霊や陰陽師や出てくる小説が原作。監督がこれまたSF・伝奇物に造形とこだわり深すぎの実相寺昭雄。ああ、実相寺昭雄も鬼籍に入ってるんだよなあ。

*6:SF作家 平井和正の超能力者と幻魔が戦う話。石森章太郎との漫画共著が元で、ノベライズのはずが世界観が広がりすぎて途中からもうなんかよくわからなくなってくるが、とにかくすごいんだよ!アニメ映画はあるけど実写でも観てみたいんだよ!

*7:SF作家 半村良による、エロと超能力と忍者と宇宙人と、とにかく全てぶっこんだトンデモ小説。『戦国自衛隊』は映画化されてるけど、誰もこの作品の映像化に挑戦してくれない。映像化すれば最低でも15禁案件と思われる。

*8:気づけばもう100年くらい前に書かれた、伝奇作家 国枝史郎による戦国時代を舞台にした、とにかく悲惨で狂ってる小説。途中でストーリー展開がよくわからなくなる上に未完で、それもよりによってそこでかよ!と、あの世に向かって抗議運動したいぐらいのところでぶっつり終了。

『ジョン・ウィック』リロードにときめき、偏見と戦う今日この頃


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このところ、記事を書いては途中で脳のリソースを仕事にとられて完成させられない、という日々を過ごしております。
平日はもちろん、土日は爆睡していて、気づいたら夕方、というのがザラ。いまだ本調子ではないので土日は仕事しないと決めてますが、やろうとしたって多分寝る。
こういう時に、まだまだだなあと思います。

それに最近は、社内の大きなシステム改訂を行うべく、どう幹部をだまくらかしたら、もとい、どう説明したらこのご時世に5億円の予算とれるかと、ああでもないこうでもないと企画書をこねくりまわしているせいか、モノを書く欲求がある程度満たされている感じです。

そんなこんなでまた久々ですが、そういう状況下で何を観ていたかたというと、自宅で『ジョン・ウィック』祭りを繰り返していました
去年の今ごろでしたら、メンタルやばすぎたあまり、ただただ人が殺されていくのを黙々と観ていただけかと思います。

が、回復してきたいまの私は違います!
本領発揮です!(仕事は!?)

っもお~、リロードって大好き!!

リロード、つまり銃に弾倉を再装填することです。
私、銃撃戦おいて一番好きなのは、銃声でも撃つフォームでも銃そのものでも、ましてや流血でもありません(いや全部好物だけど)。
このリロードする行為全般、特にリロードのカチャとかガチャとかガシャンとかいう音が好きで好きで好きで。観て聞いてると、なぜか銃声よりも断然気分がスッするんですよねえ~。

ショットガンならなお良し!

なぜなのかは全く不明。確かに、もともとカチャカチャガチャガチャという音って好きなんですが。
ターミネーター2』あたりがきっかけかとも思いますが、当時はそこまでリロードにこだわった覚えがありません。
とにかく、気づいたらリロード好きになっていました。

ですからね、『ジョン・ウィック』を観たことのある皆さんなら既に納得されたかと思いますが、このシリーズ、1~3まで全編リロード祭りなんですよ!!
銃で打ち合う映画であれば、リロードシーンが全くないなんてことはあり得ません。それでも、別にそこに注力しているわけではありません。
それどころか、その弾倉っていったい何発弾入っとるんかい!と突っ込みたくなることもしばしばです。

しかし、ジョン・ウィック』シリーズにおけるリロードは、キアヌに次いで、第二の主役と言ってもいい!
リロード及びその手際の重要性を、これほど熱く見せてくれる映画が、これまであっただろうか!?
いや、ない!

ネット上を探すと、映画のリロードシーンを集めた動画とか落ちてます。5分とか10分くらいにまとめたヤツが。
でも『ジョン・ウィック』は、それを90分だか2時間だか、延々撃ってはリロード、撃ってはリロードを繰り返してくれるわけです。
それも、キアヌ・リーブス付きで(順序が逆だろ!)

考えてみればです。
あの殺し屋ネットワークが一大産業となっている世界、人口における殺し屋の構成比は何%か計算したくなる殺し屋の多さ(そんなに需要があるのか?)、そしてどんな混戦中でもミスショットをほとんどしないジョン・ウィック
もはやこのシリーズはファンタジーですよ。

なのに妙にリアル感(リアルとまでは言わない)を生んでいる理由の一つが、キアヌも相手もリロードにわちゃわちゃするところじゃないですかね。
たまにジャムってるところが、また可愛いのよ~(可愛いの定義が自分でもわからん)。

しかしですね。
「ショットガンのリロード音が好きなんです」

という話をしてノってくれる人間が、私の日常にはおりません。類は友を呼ぶはずなのに、誰も来やしねえ

まあ百歩譲って、女性の類友に出会う確率は少し下がるのかもしれない。でも、私の職場は男性が圧倒的に多いというのに、なぜか全員首をかしげる
彼らはみんな、昭和生まれですよ。男子はこうあるべき、という親や学校や世間の圧力に亀甲縛りされて育ったような世代ですよ(表現が18禁)。
そんなジェンダーバイアス男子のくせに、銃にも戦闘にも流血にも興味がないなんて。

しかも、ゲームなら平気だけど実写映画はダメ、とかいう輩もいて、意味がわからん。たかが『バイオハザード』の話でですよ!?
今の熟年中年男子諸君は『ゾンビ』とか『ランボー2』とか観て育ったんじゃないのか?(偏見)

先日、嬉々として会社の昼休みに『ジョン・ウィック』とリロードの話をしていたらですよ。
センター長(55歳♂)から「残酷なのが好きだよねえ」と言われ、後輩(40歳♂)からは「銃の話する時、乙女の顔するのやめてください」って言われたんですよ、私!

ジョン・ウィック』は残酷じゃねーし!
プロだから!
キレイに急所狙ってしっかり殺るから!
てか「リロード」って言葉の意味から説明しないといけない輩に、リロードへのときめきを否定される謂れはない!

このあたりが、わたくし、トントン拍子で昇格したのに役職につけない原因なんでしょうか。うち、世間的にはそれなりにご立派な会社ですからね。
黙ってりゃいいんでしょうけど、所詮は元がコレなんで、ご立派な会社員の擬態って疲れるんですよ。

そういえばジョン・ウィックも、一度は足を洗って普通の人間のフリして生活してましたけど、結局闇の世界に戻ったわけで。
人間の本質なんざ、結局ごまかしはきかないのです。
そういう視点でみると、『ジョン・ウィック』も結構深い話ですね。

……って、んなわけあるかい!

 

 

 

『21ブリッジ』チャドウィック、じゃない戦友よ、さらば(ネタバレあり)

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前回の更新から1ヶ月経ってしまいました。
読んでいただいてる皆さんには、アフガニスタンで戦死したんじゃないかと思われていそうです。

一応、先月の戦地からは基地に戻ったんですが、本国への帰国は叶わず、相変わらずアフガニスタンの別の場所で戦っております(前回の記事を読んでる人以外、意味のわからない文章)。

更新が途絶えていたのは忙しかったのもありますが、ちょっと書けなくなってたんですよね。
今回の『21ブリッジ』、どうしても観たくてコロナ対策万全にして川崎まで観に行ったんですが(東京の映画館が閉まってるから)、帰ってきて「さあ書くぞ」と200文字ほど書いたところで、ぱったり書けなくなっちまいました。

ブラックパンサー」のチャドウィック・ボーズマンが主演・製作を務めたクライムミステリー。マンハッタン島で強盗事件が発生し、銃撃戦の末に警察官8人が殺害された。捜査に乗り出したのは、警察官だった父を殺された過去を持つデイビス刑事。マンハッタンを全面封鎖して犯人の行方を追うが、事件の真相に迫るうちに思わぬ事実が浮かび上がる。孤立無援となったデイビス刑事は、事件の裏に潜むニューヨークの闇に立ち向かうが……。共演は「アメリカン・スナイパー」のシエナ・ミラー、「ビール・ストリートの恋人たち」のステファン・ジェームズ、「セッション」のJ・K・シモンズ。製作には「アベンジャーズ」シリーズのアンソニージョー・ルッソ兄弟監督が名を連ね、「ゲーム・オブ・スローンズ」などテレビドラマを中心に手がけてきたブライアン・カークがメガホンをとった。

2019年製作/99分/G/中国・アメリカ合作
原題:21 Bridges
配給:ショウゲート
(映画.comより)

この映画は、昨年亡くなったチャドウィック・ボーズマンの、劇場公開作品としては遺作にあたります。役者としてこれからという時期の死なので、私も色々思うところはありましたし、わざわざ遠出して観に行ったのも彼観たさです。
だから、観終わってチャドウィックについて書き始めたのも自然な流れでした。いや、自然な流れのつもりだったのですが、全然書けない。
どーーーーーしても書けない。

そこですっぱり諦めて他の映画のことでも書けばよかったのに、どういうわけかそれもできない。この映画のことを書きたい欲求は強くて、他のことを書く気になれないんです。
それがなぜなのか自問自答しながら三週間近く。ついに衝撃の真実と向き合ってしまいました。

私、チャドウィック・ボーズマンについて書きたいわけじゃなかったんですよ、実は。

あ、いやいやいや。
この映画のチャドウィック・ボーズマンはどうだった?と聞かれれば、いくらでも熱く話せますよ。
でも、あくまで誰かに聞かれれば、あるいは、お題目としてもらったら、の話。自発的に書きたいネタかというと、違う。

なのに、彼のあまりに早すぎる死に影響されて、彼について書かんといかん」と、無意識に自分に枷をはめていたらしい

そりゃ書けなくなるわな。
映画をネタに好き勝手なことを書くのが楽しいのに

ということで、チャドウィックについて書かれたものが読みたい方は、いつものように他のちゃんとしたブログに行っていただき、私は我が道を往かせていただきます!

 

いやー、まさかの戦友との再会、テイラー・キッチュ

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上が『21ブリッジ』のレイ役ですが、彼、ローン・サバイバー』でマーフィー大尉役(下)を演じてたんですよ。現実の大尉(元同僚)が転勤していって10日でしたから、二重に感激しまして(これまた前回の記事を読んでないと意味不明)。

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だからねー、彼の所業にびっくりでした。
強盗自体はいいんですが(いいのか?)、大都会ニューヨークだというのに、戦場のように躊躇なく相手を殺していくんですよ。

お前、致命傷を負いながらも、基地との通信を確保するため、命懸けで山頂に上るような勇敢な男だったのに!!(『ローン・サバイバー』だっつーの)

冒頭のチンピラ感満載の会話から、一瞬にして戦闘モードに切り替わったところは、思わず身を乗り出しちゃいましたよ。「敵と見なしたら殺る」というのが第二の本能となってるんですね。

実は、そこで初めてテイラー・キッチュだと気づいた次第。そのシーン、目しか出てなかったのに、わかった自分がちょっと怖い。
どんだけ脳内で『ローン・サバイバー』再生してたんだよ

別にテイラー・キッチュのことは、さして好きでもなんでもないんです(ひどい)。
そこそこハンサムなんですが、『バトル・シップ』*1や『ジョン・カーター*2を観る限り、正統派の主演を張るには微妙。
でも軍人役が多いせいか、銃の構え方とか動き方とか、本物?と思いたくなるほど板についてて、そこは結構好きです。
で、そっちにばかり目がいって、演技がどうだったのかはいつも定かではなく(ひどすぎる)

でも、チャドウィックとの撃ち合いシーンは良かったなあ。
物陰から撃ってくるチャドウィックに対し、キッチュは隠れもせずに真っ直ぐ立って、でも相手に体の正面は向けず、撃ち続けてチャドウィックを確実に足止め。この、的になる体の表面積を減らして被弾を避ける、っていうスタンス、実用的かつビジュアルとしてもカッコいいじゃないですか。

しかしチャドウィックの射撃も見事で、結局キッチュは腹に一発食らい……。
でも、被弾してるのにあれだけ動けるところがもう、私好みの戦士・オブ・戦士
もうね、最後の力尽きた姿には、すっかり戦友のなれの果てを見ているような気になって半泣きです。

現実世界における私の戦友も、有能だけど正義感が強い上に若干キレやすく、転勤しても「ここの部署、こういうとこ、おかしいだろ!?」とメールが来ます。
文面から推察するに、怒りを感じた瞬間にメールして発散しているものと思われます。戦友の今の立場では、職場でキレるとパワハラと言われかねないので、私は肯定しつつもなだめる返信を送ることに努めてはいます。

が、所詮は類友
私も奴と同じくらいキレやすい上に慇懃無礼」が金科玉条なので、果たして常識的な方たちからみて穏やかな返信になっているのか、その辺は自信がありません。キッチュの殺人を止められない弟分役の、ステファン・ジェームズみたいなもんです(いい方に回るな)。

いやはや。
帰還兵にはカウンセリングしてケアしないと、環境の変化に適応できないっていうの、ホントわかるわ。
テイラー・キッチュの死に顔が、他人事とは思えない。
どうせ死ぬなら、会社じゃなくてチャドウィックのような高潔な相手に殺されたい

*1:一部(主に日本)で妙に人気のある、宇宙人と軍艦で戦うポンコツ大作映画。私も褒める気はないけど、洗濯物を畳みながら観る分には悪くない。

*2:ディズニーにしては珍しく大コケしたSF映画テイラー・キッチュの衣装が異様に似合ってないこと以外、何一つ印象に残らない。

『ローン・サバイバー』21年4月の私と仲間たちを描いたドキュメンタリー映画のあらすじ(ネタバレになるのか不明)

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前回の記事から三週間経ってしまいました。いつも読んでくださる方の中には、また何かドラマにハマってるんじゃないかと思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

違います。
ガチで仕事が忙しいです。

あ、はい、私、休職してましたよ、つい最近まで。仕事し過ぎで。はい。
まだ定期的に通院してますし、薬も飲んでます。週の半分は在宅ワーク、以前のように延々と仕事することもなくバサバサ割り切り、体調優先で仕事してます。
でも、環境はアフガニスタンです。

この三週間、特に直近二週間は、仕事中の脳内で延々この映画が再生されています。
なんかもう改めて観なくてもいいんじゃないかってぐらい、再生されてます
なので、今回の記事は映画と現実がごっちゃになった私の脳内の話なので、ちゃんと映画について知りたい方は、よそ様のブログに行かれた方がいいんじゃないかと思います。

もっとも、いつもこのブログを読んでくださる方は、そもそも映画の話なんて私に期待していない気もしていますが

米海軍特殊部隊ネイビーシールズ創設以来最大の惨事と言われた「レッド・ウィング作戦」を、マーク・ウォールバーグ主演、「キングタム 見えざる敵」のピーター・バーグ監督で映画化。2005年6月、アフガニスタンの山岳地帯で偵察活動中の4人のシールズ隊員は、あるひとつの決断によって、200人を超すタリバン兵の攻撃にさらされることになる。極限の状況を生き延び、奇跡の生還を果たした唯一の隊員マーカス・ラトレルが執筆し、全米ベストセラーとなったノンフィクション「アフガン、たった一人の生還」が原作。テイラー・キッチュエミール・ハーシュベン・フォスターエリック・バナらが共演。

2013年製作/121分/PG12/アメリ
原題:Lone Survivor
配給:東宝東和、ポニーキャニオン
(映画.comより)

さて、傷病兵になって休んでいた私は、1月半ばから本国でシールズに復帰、3月半ばにはアフガニスタンで仲間と合流、後方支援を経て4月から前線に復帰と、段階を踏んで戦場に戻っていきました。

私含め仲間は4名(上司はカウントしてやる気にならん)。
階級つけるとこんな感じ。

戦士・オブ・戦士の大尉(♂)。シールズ入って丸4年の、『GOT』貸してくれた戦友です。海軍入隊は私と同時期ですが、優秀で昇進が早く、シールズに来た時点で階級は私より上。5月にはさらに昇進転属予定。
前世が戦士の私(♀)は兵曹長ってとこですね。シールズ入って7年目の准士官。各地で戦闘経験ありの、ベテランですが、PTSDを抱えてます。
そして、中堅どころのデキる上等兵曹(♂)。戦闘経験は豊富ながら、シールズとしては2年目。過去の経験を上回る戦闘が続いて、プレッシャーがかかっています。
最後はポテンシャルはあるが若い二等兵曹(♀)。シールズ3年目ですが、軍歴通しての戦闘経験がやや少ないところが不安要素。

このメンバーで「レッド・ウイング作戦(くそデカい社内の体制変更に伴うシステム対応他関係する大小ありとあらゆる業務)」の先方として現地に出た所、突如、タリバン兵200人に一斉砲火を浴びてしまったのです。

実は私、休職前に経験値を買われて「レッド・ウィング作戦」の策定段階から関わっていました。策定作業にはお偉方(部長クラス以上)しかいなかったので、彼らの好き勝手な発想を、実行可能な計画にしていくのが私の仕事でした。
ところが私が傷病兵になって離脱したものですから、ほぼ残ったお偉方だけで作戦は作られてしまい、年明けになって現場に開示された時には、実に詰めが甘く実行不可能なザルのような作戦だったのです。
復帰後の私は後方支援として何とか作戦にテコ入れはしたものの、4月にタリバンに囲まれることは予想してはいました。

が、予想をはるかに超える200名のタリバン兵。
右から左から上から下からAKライフル(各所からの問い合わせ)とRPG(システム不具合)で襲われてるのに、こちとら4名で軽火器しかなく通信も途絶えてしまいます(お偉方は既に別の仕事に夢中)
持てる知識と経験値とベテランの勘を総動員し、脊髄反射的にタリバンと戦う私は「鬼のよう」(本当に言われた)だったそうです。

しかし、まずいきなり大尉が爆破で重傷を負います(異動は5月なのに、諸般の事情で4月から引き継ぎも無いまま異動先部署の仕事も兼任)。
次に二等兵曹がタリバン兵に囲まれてしまい(全国の事務方担当者から問い合わせが殺到)、その場に置いていかざるを得なくなりました。
そしてギリギリ持ちこたえていた上級兵曹も腹に被弾腸炎発症。どう考えても過労とストレスのせい)、身動きできず。

支援のヘリ(システム部門)もタリバンに撃ち落されて全滅(徹夜続きで限界。電話に出てくれない)
そうこうするうち、決死の覚悟で通信を確保(私らへの業務引継ぎ)した大尉も、致命傷のため力尽きる(引っ越し)時がやってきました
ということで、現在動けるのは兵曹長の私だけ(PTSD持ち)なのです。

そんな中でもなんとか生き延びているのは、村のみなさん(営業部門)が、可能な限りタリバン相手に耐えてくれているおかげです。
これは、休職前ならあり得なかった。
営業って、いままでなら真っ先に文句言ってきて、何ならこちら(事務方)に向かって手りゅう弾投げ込むような人たちなんですが。
極限になると、営業という人たちは「パシュトューンの掟」*1のごとく昔気質の面が出てくるのか。
何にせよ、本当にありがたいことです。

とはいえ現在も「レッド・ウィング作戦」はまだ収束しておらず、私は基地(通常業務)に帰還できるみこみもないまま、村でタリバンと戦い続けている状況です。
果たして救出のヘリはやってくるのか……。

という感じの映画です、『ローン・サバイバー』は。
多分。

(自分ではもう違いがわからない)

……その後(まだ作戦終わってないけど)の仲間たちですが。
大尉は、二階級特進で中佐に昇進し別チームへ転属。名誉勲章ももらいました。
戦友として私も誇らしいのですが、当の本人は死んでるも同然なので(仕事中の反応がおかしい)、寂しいながらも早くアフガンを忘れて体調戻してくれと思ってます。
下士官二人は初めての極限状態を経験して一皮向けた感じもあり(こんな状況で成長させるつもりではなかったんだが)、そして新人の配属も決まりました。

そして私。
PTSD持ちの上に准士官の給料しかもらってないのに、大尉が抜けたからとなし崩しに尉官クラスの仕事をさせようとするお偉方に慇懃無礼な暴言吐きつつ(礼節より自分のメンタルヘルスが優先)、まだしばらくは、仲間とともにアフガニスタンで終わりの見えない戦いを続けます。

ちなみに、本物のアメリカ軍は21年9月にアフガニスタンから撤退予定です。

 

※2021/04/17 20:00 リンク貼るの忘れていました…

*1:「敵から追われている者を、自らの命を懸けて助けよ」という2,000年以上続く掟。

『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』ミック・ジャガーへのトラウマを解消した映画

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私には子供の頃からのトラウマが3つあります。
ひとつは、体調が悪くて吐いたゲロがマヨネーズの味そのままで、以来マヨネーズが食べられなくなったこと(現在も継続中)。
もうひとつは、御巣鷹山日航機が墜落した日、JALから家に電話がかかってきて「お客様が明日乗る飛行機が”無くなりました”」と言われて以来、JALが使えなくなったこと(島根出張で強制的に解消。羽田ー出雲便はJALしかないので)。

そして最後のひとつが、MTVで見たミック・ジャガーの顔が怖くて、ローリング・ストーンズを避け続けてきたことです。

私は、歳の離れた姉たちが洋楽好きだったことや、洋画ばかり見ていたせいで、小学生ですでに洋楽を聞いていました。
ま、とはいえ映画ほどには洋楽の好みは一貫しておらず、好きなアーティストを並べると、自分でもそれぞれ何が理由で気にいっているのか、よくわかりません。
BON JOVIだけは、5万字くらい平気で語れますが。

とはいえストーンズだけは音楽がどうとかではなくて、とにかくミックの顔が怖い
なんか頭からかじられそうじゃないですか、口でかいし。
だから音楽はおろか、写真や映像すら避け続け、40近くになってCSでたまたまこの映画を観るまで、本当にストーンズ抜きの洋楽生活でした。

ディパーテッド」「アビエイター」のマーティン・スコセッシによるモンスター・バンド“ザ・ローリング・ストーンズ”のライブ・ドキュメンタリー。2006年秋にニューヨークのビーコン・シアターで行われたライブの模様と、バンドのフロントマンのミック・ジャガーとスコセッシ監督のせめぎ合いが臨場感あふれる映像で収録されている。ライブには、ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトやクリスティーナ・アギレラも飛び入りゲストとして登場している。

2008年製作/122分/アメリ
原題:Shine A Light
配給:東北新社
(映画.comより)

この映画、存在は知っていたんですが、もちろん公開時は観る気はなく。ただ、やっぱり監督がマーティン・スコセッシ*1なんで、気にはなっていたんです。
だから最初はちょっとだけ、怖いもの見たさだったんですが、オープニングがあまりに面白くて。

あくまでビーコンシアターでのストーンズのライブを撮った映画なんですが、なんと、撮影前にストーンズに振り回される、スコセッシたちスタッフの様子から始まるんですね。
スコセッシは映画監督だから、ちゃんと段取りを決めてカメラを準備したい。だけどストーンズはアーティストなので、ああいや、映画監督もアーティストなんだけど、とにかく直前まで何を演奏するのか、どういう順番でやるのか、セットリストを出してこない。

別にさぼっている訳ではなくて、ミックは大まじめにセットリストを考えてるんですが、スコセッシは準備のために早く決めてほしい。催促しても出てこない。
最初はしっかりしたセットリストを欲しがっていたけど、とうとう「順番はいいから、何をやるのかだけ教えてくれ」みたいな感じになっていく。演奏する可能性のある曲を予想して、何がきてもいいように準備するはめに。

コミュニケーションが取れないとぼやくスタッフ、好き勝手なストーンズメンバー、リハーサル中のストーンズにあいさつ&記念撮影にくるクリントン元大統領とそのゲスト(30組って!)。
結局、セットリストがスコセッシの元にきたのは、直前。
セットリストが来た!その瞬間にパン!っとビーコンセンターの上空からライブ会場へと映像が切り替わる。

ちっくしょう、スコセッシめ!
やりやがるな、このジジイ!

ここで初めて、私はストーンズをちゃんと正面から見たわけです。

いやあ、顔が怖いとか言って、本当に申し訳なかったです。
彼らのパフォーマンスは圧巻でした。
と、同時に、ミック・ジャガーがフロントマンとして、いかにライブを作り上げる才能にあふれているか、そこがはっきりわかる映画でした。
そもそも、これはよくあるライブ映像ではなく、そんなもんなら別にスコセッシが撮る必要なんかないわけで。

もちろん、普通のライブ映像のように、ストーンズをカッコよく映すシーンも多々あります。でも目に留まるのは、彼らのちょっとした表情や仕草、アイコンタクト、観客に見せない後ろ姿、真剣なまなざし。
ライブでハイになっている一方で、プロフェッショナルとしての姿やお互いの関係性を、ものすごく丁寧に拾い上げている。
つまりこれは、ストーンズがライブという生ものを、一瞬一瞬で作り上げていく姿を追ったドキュメンタリー映画なんですね。

そういう形でなければ、私がストーンズに正対することはなかった気がします。
なにせ、今でも私は、別にストーンズの曲が好きな訳でも、ミック・ジャガーが好きな訳でもありません。ミックの世代なら、私はポール・マッカートニーの方が好き。
でも、ミックの才能には脱帽です。
ストーンズメンバー、サポートメンバー、ゲストアーティスト、観客までもコントロールし、最高のライブを作り上げるからこそ、60年代から最前線で生き残ってきたバンドなんだと本当に思う。

ライブ中、メンバーはミックの目くばせ、一瞬の指示に、操られるように動いてるんですよ。息が合ってるともいえるけど、魔法ですかね、あれ。言うこと聞いちゃう魔法?
もはや、すべてはミックの掌の上

唯一違うのはキース・リチャーズ(ギター)*2で、いやはやあのジーサンは、勝手に動く、周りまったく気にしない。ミック他全員がキースの動きに注意しているのが、めちゃめちゃ分って、思わず笑っちゃう(本当にミックは、よくキースを見ている)。
笑ってたら、途中に挿入された過去のインタビュー映像で、ロン・ウッド(ギター)がキースに合わせることついて「疲れる」と答えていて、さらに爆笑。
いやもう、もはや介護ですよ。
ミックを「神」と呼ぶ姉は、ストーンズはミックがいないと成り立たないと常々言ってますけど、それをまざまざと見せられました。
ううむ、ミック・ジャガー介護士でもあったのか。

今週は少々仕事で久々に振り回され、夕べから冷や汗や手の震えまで出て、すっかりくたびれました。傷病帰還兵のPTSDみたいなもんですね。ちょっと休職直前の自分を思い出しました。
こういう時は、あまりストーリーのあるものにはついていけないので、よく好きなアーティストのライブ映像を観るんですが、なぜか今日はストーンズ
思い入れがない分、完璧さを丸ごと楽しめるからかもしれません。
そしてすっかり、汗と震えは止まったのでした。

さて、週末も疲れがとれてなければ、ライブを観る日にしましょうかね。
BON JOVIは、もうちょっと元気になってからのカンフル剤(なにせ、人生応援歌だから、落ちてるときは少々タフ)として、やっぱり癒し系のテイク・ザット*3かしら。

映画は日陰なダークサイドを愛する私ですが、音楽の方は、なぜかお日様の下を胸張って歩ける、王道ロックやボーイズグループが好きな私です。
といいつつ、ストレスたまるとパンクやデスメタル一色ですが。
ようは、気分です、てきとーです、はい。

*1:名作『タクシードライバー』を撮ったスゴイ人。大作から小品まで名作多数で、熱狂的ファン多し。少々演出が暑苦し……いやその、クセが強いので、私は実はそれほど好きではない。

*2:パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズで、ジャック・スパロウの親父を演じている。キースの顔は、別に怖くない。

*3:イギリスのボーイズグループのパイオニア。日本ではバック・ストリート・ボーイズの方が有名だけど、こっちが本家で歌も上手い。リーダーのゲイリー・バーロウは『キングスマン』の監督マシュー・ボーンの友達。

再び『ゲーム・オブ・スローンズ』忘れないうちに人物考察したことを書き留める(ネタバレあり)

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私の同僚は、やはり素晴らしい男だった。
忘れず『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン8を持ってきてくれました。
ありがとう、ありがとう。

で、最終シーズンは1話が70分以上あるという、もはや映画になっていてびっくり。
だもんだから、1日に2話ずつ観るという私の構想は実現せず、1日1話ずつ見ておりました。

それにしてもドラマは1話完結型が専門の私が、このドラマを観続けられたのは、主要キャラからわき役に至るまで、キャラクターの描き方が丁寧だったことにつきます。
人物の感情や行動、物語を通しての成長の仕方が、とても自然で腑に落ちることばかりで、相当入り込んで観てしまいました。
原作は未読なので比べようがないんですが、嘘くさい奴がいないんですよ。物語のためだけに、取って付けたような人物がいない。

アメリカのドラマって人気がある限り続けていくので、途中で物語やキャラクターが迷走することも多いんですよね。長く続いてると、途中でメインの役者が降板して、展開変えざるを得なくなったりとかもありますし。
そういう不自然なブレが、『ゲーム・オブ・スローンズ』にはなくて。
しかも、バラバラだった登場人物たちが終盤に向けて集まっていき、群像劇だった物語がひとつにまとまっていくところは、見事としか言いようがない。
本当に、素晴らしいドラマだった。

ドラマを観終わってつくづく思います。ほんのひと時の出会いであっても、その縁はどこかに通じていて、何かに影響を与えているのだなと
ドラマですから、そこは濃い目に描かれてますが、実世界でも同じですよね。
先日、例えば同じ電車に乗り合わせた人々は、ごく薄ーーーーくではあっても、何かしら共通するものがある、という話を聞きました。
袖すり合うも他生の縁とか、言いますが、そんなところにも通じるかな。
そう思うと、今日一日の出会いというのは、決しておろそかにはできないんですね。

と言ってる私は、昨日は家から一歩も出ずに、2度目のシーズン8を見ていました。
口だけです、ごめんなさい。

 そこまでして見ていても、登場人物が多すぎて、時間がたつと色々忘れてしまいそうな気がするので、自分の備忘録がわりに、登場人物について「前世が戦士」とほざく私的に考察したことを書いておきます。

今までになく、がっつりネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。
それから、めちゃくちゃ長いので、初めて目次って機能を使ってみました。
なので、適当に拾い読みしちゃってください。

ちなみに私は、この相関図を頼りにキャラを覚えました。うっかり「DEATH」を押すと生死がわかってしまうので、未見の方はこちらも注意。

ジョージ・R・R・マーティンの大ベストセラー小説「氷と炎の歌」シリーズを、デヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスが映像化。米国エミー賞で歴代最多受賞を誇り、3シーズン連続でドラマ部門作品賞を受賞。第七章の最終回では、全米で1,200万人超えという同シリーズ最多視聴者数を更新したのをはじめ、熱狂的なファンを世界中で獲得している壮大なドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」。
架空の大陸・ウェスタロスを舞台に、王座をめぐる陰謀と策略が渦巻く権力争いを描く本作。綿密に練られた美しい世界観の中、敵味方の運命が交錯する人間模様。そして、人々を魅了するドラゴンや、恐怖に陥れる異形の者の存在がウェスタロスを揺るがす。非情だけれど現実的な物語の中でうごめく、魅力的で人間味あふれるキャラクターたちの、愛と欲望はセンセーショナルに、殺戮と復讐は血生臭く残酷に描写。彼らが戦いに、愛に、復讐に奔走し、傷つき成長していく、または堕ちていくさまを、誰も予想できないドラマティックな怒涛の展開で魅せる。 いかに生き、いかに死ぬか。そして誰が生き残り、誰が玉座に座るのかーー。連続ドラマだからこそのハラハラ、ドキドキ、ゾクゾクが満載の、映画ファンも虜にする海外ドラマの最高峰!

 (スターチャンネルサイトより)

目次

ラニスター家三姉弟

スターク家じゃなくて、最初にラニスター家がくる私です。

サーセイって結構嫌われキャラらしいんですが、私はわりと好きで。
最初から最後まで、人として一切変わらなかった、数少ないキャラですね。
この三姉弟、サーセイ&ジェイミー、ティリオンたちに影響を与えてるのは、人ではなく家名のことを第一に考えて、しかも絶対的な力をもつ父親と、母親の不在の二点だということは間違いない。
あの親父から親としての愛情なんて望むべくもないので、おそらく母親の愛情だけを受けて育ったんだと思います、サーセイ&ジェイミーには。
でもその母親が産褥で亡くなって、ラニスター家で子供に愛を与えてくれる人は、いなくなってしまったわけです。
一応、ジェイミーは嫡男なので、そういう意味では親父から目はかけられてましたが、サーセイは女なので、あの親父にとっては政略結婚の道具でしかないでしょう。
サーセイにとっては、母親の愛が全てだったはず。ティリオンを憎むのも、我が子が世界の全てになってしまうのも、わかる気がします。
だから、サーセイって憎み切れないところがあるんですよ。胸にぽっかり空いた喪失感を、埋めることができないまま生きてるから
ジェイミーとの近親相姦も、ジェイミーを愛しているというより、ジェイミーに流れる母の血を愛しているだけなんじゃないかな。

そのジェイミーって、私は一番可哀そうな人だと思っていて。
嫡男だからと親父から目をかけられても、親父がビッグ過ぎて、ああ見えて男としての自信はバキバキに折られて生きてたんだと思います。
根っこの部分に自信がないからユラユラ揺らぐ。自信がないから信念もない。
こういう人って、どういう訳か褒められないんですよ、何やっても。
顕著なのは、狂王を殺して世界を救ったのに、「王殺し」とさげすまれて、だれも褒めてくれないことですね。
ジェイミーの王殺しって、虐殺を止めるためという動機ではあるんですが、王を止めなければという強い信念や意思があった訳じゃなく、とっさの判断だったようで。そういうところが、さげすまれる所以かなあと。
これ、ジェイミーじゃなくて、同じ「王の盾」のバリスタン・セルミー(信念の塊)が殺したのなら、別な結果になっていた気がします。
ジェイミーにとっては、サーセイへの愛だけが軸。彼も母親不在の穴をサーセイで埋めてる面もありますが、サーセイの穴の方が大きくて飲み込まれてますよね。
本質的には優しい男で、物語を通してものすごく成長した人なのに、あともう一歩のところで、結局サーセイから離れられなかった。
ティリオンと一緒に泣いちゃったよ。

ジェイミーがティリオンを可愛がったのは、サーセイがティリオンを憎む理由と表裏ですよね。母親不在を、ティリオンを愛することで埋めてる(それが出来ないからサーセイの方が穴が大きい)。
ティリオンに至っては、その母親自体知らないし、父親と姉からは疎まれるしで、「兄上が世界の全てだった」というのは、本当にそうだったろうと思う。彼も愛に飢えていて、それは娼婦好きという面で出ていたけど、ジェイミーのおかげで愛自体を知らないわけじゃない。だから彼は邪悪じゃないんですね。
そして、彼は誰よりも学ぶ人です。それが自分の武器で、他と自分を分けるものだと自認しているから。
ティリオンは本当に何度も失敗しますが、その全てから学んで、何度も立ち上がります。物語中、最も成長した人物で、一番人気というのも納得です。
最後、サンサと復縁するのかと思ったよ、しなかったけど。

 

■スターク家

ここはですね、ラニスター家とは逆で、ネッド・スタークが愛情あふれる父親なもんですから、子供たちはみんな、愛に飢えてるってところはないんですよ。だから、スターク家には邪悪な人物がいない
ちなみに、同僚と私の間で「お父さん」と呼んだら、それはネッドのことを指します(同僚は名前を憶えられない)。

ポイントは、キャトリンですよね。この人は、あんなにネッドに愛されてるのに、子供が絡むと異常に暴走するんですよ。
ジョン・スノウの存在が、我が子可愛さに走らせてると思ってたんですが、彼女の死後に実家の事情がわかってくると、さかのぼれば妹との確執も根っこにありそうな。家族が壊れるのことが、彼女にとっての最大の恐怖のようです。

そのキャトリンに疎まれて育ったジョン・スノウは人気キャラですが、私にはジェイミー同様、可哀そうな人にしか見えないんですね。
ネッドのおかげで、ジェイミーみたいな心の折られ方はしてないんですが、自分の存在の不確かさが、自信の無さに繋がってます。
基本、誠実な人なんですが、時々行動がブレるのは、自信がない故かと。俺が望んだわけじゃないし、って、何回言うんだ、お前。
だからジョンって、自信のある女性にめっぽう弱い。弱すぎる。どこかで母親を重ねてるし。
私、元カレに二人ほど、ジョンのような微妙に自信のない男たちがいたので断言しますが、イグリットやデナーリスとの関係も、長くなれば捨てられてるから。少なくとも、私は捨ててきた。
だから、「冥夜の狩人」でいいんです、ジョンは。女に影響されやすいから。

前世が戦士の私にとって、誰よりも気持ちが寄っていくのは、アリアです。
貴族の女性だから、サンサのように結婚して子供をもって、ということを考えるのがこの世界の常識ですが、彼女は魂が戦士だから、そういう生き方に違和感を持ってます。
そこをネッドは分かっていて、彼女が弓や剣を練習することを止めなかった。でも、あのまま平和な時代が続いていたら、アリアは生きづらかったと思います。
スターク家が崩壊し、乱世が来たからこそ、彼女は「スターク家のお嬢様」ではなく、一人の「アリア・スターク」という戦士として、自分自身を見出します
「顔のない男たち」のところでの、顔を失くす訓練を通して、逆に自分が何者かを確信するストーリーには、震えがきました。
彼女は、最後には誰も知らない西の海へ旅立っていくけど、自分を世界の全てから解放したアリアには、ぴったりのラストだったなー。

サンサは、変化がすごいわ。絶対に途中で死ぬと思ってた。
キャッキャいってたお嬢ちゃんが、これでもかという試練を与えられまくり、最後には「北の女王」です。ネッドも、これは予想してなかったろうに。
彼女はアリアと逆で、自分はステキな王子様と結婚して子供を産むんだと信じて疑わなかったんですが、試練を通して、本来の自分に気づいていく。
現代に生きる女性に似ています。結婚して子供産んで専業主婦が女の幸せ、なーんて価値観を一律パーに植え付けられて育ったけど、あら?自分にはもっと違う生き方の方がしっくりするわ、と気づいちゃった女性たちです。
彼女は、自分がスターク家の表看板になってからも、ちょいちょい男性陣に遠慮する節を見せます。なかなか、女ごときとか、男子優先とか、そういう価値観から脱却しきらない。その揺らぎ、男性社会で生きる私らにはよーくわかる。
だから、最後に「北」の独立をブランに願い出るところは、「北」だけではなく、彼女自身が「女性とは」という軛から自分を解放したようにも見えました。
あとは、願わくば、つまらん政略結婚とかせずに、しっかりした男と愛し合って欲しいです。

ロブは、あまり印象に残ってない……殺された時の衝撃が大きくて。リコンはほぼ描写がないしなあ。
ブランは、ファンタジーなので、人物考察のしようもないです、はい。

 

■デナーリスと男たち

デナーリスは、これはティリオンが語ってるとおり、彼女は数々の成功体験を通して、自分が救世主で正しいと思い込んでしまったんですね。そこに炎に焼かれず、ドラゴンを使役するという奇跡体験が、彼女に自分は特別な人間なのだという裏打ちになってしまった。
身もふたもないことを言えば、奇跡体験=特別な人間、って訳じゃなく、奇跡体験した人、ってだけなんだが。
彼女も愛情をかけてもらない少女時代を送っていて、基本は「愛されたい人」です。ただ、彼女の場合は「愛されること」と「支配者になること」が、ごちゃ混ぜになっているように見えます。だから、デナーリスは、愛されないなら、恐れさせてやる!と、極端に反転してしまのかなと。
そこを、絶妙なバランスでとどめてきたのが、彼女を愛した男たちです。デナーリスが民衆の愛を感じられずにいるときも、彼女のそばには愛してくれる男たちがいました。
特に、ジョラー・モーモントの愛は大きいですよね。私は、「長い夜の戦い」で彼が死ななければ、ジョンの出生に対する不安も小さくて、デナーリスが王城を焼き払うこともなかったんじゃないかなと思います。
ジョラーやダーリオの愛と比べれば、ジョンの愛は子供っぽい愛だし、ティリオンも「愛してた」とは言うけど、彼は民衆への愛の方が深かった。デナーリスを満たすほどではなかったのですよ。
ダーリオ、連れてくればよかったのになあ。どうしてるんかなあ。

 

■この人たち、無理

私は、虐待する奴が嫌いです。

まずはラムジー
そもそも旗印が皮をはいで磔にした人間って、どういう家なんだよ、というツッコみがしたいんですがね、私。
彼は落とし子として愛情無しで育ったことが影響しているとは思いますが、まあ生得の気質ですよね、あそこまでの残虐性は。
しかもかなり頭が良い。テッド・バンティ*1かよ。

ジョフリーも無理。
彼はラムジーと違って根性も知能も無いんですが、甘やかされて何でも許されると思ってる子供なので、権力持たせると質が悪い。
人の心に共感する能力がないから、残酷なことも平気でできる。
どんなに悪い奴でも、子供が死ぬのはあまり好きではないんですが、ジョフリーについてはどうしても同情できなかった。

バラシオン家のスタニス、セリース夫妻も、ダメ。
メリサンドルはともかく、結局は彼女の言葉を信じて娘を生贄にするというのが、無理。
スタニスが、もし生きてたら、ダヴォスはどうしたんでしょうね。

ハイ・スパロウは、演じているのがジョナサン・プライス*2なので、そのこと自体は楽しかったです。
あの七神正教の裁判が、キリスト教の異端審問がモデルだってのはすぐわかりました。
異端審問というのは、教義の枠から外れた人間を排除するのではなく、彼らを「正しい」信仰に戻す、つまり人間を無理やり矯正する仕組みなんですね。監禁と虐待に耐えかねて、タイレル家のロラスが信仰に生きると言い出しましたが、まさにそれが目的です。
私はこの異端審問で卒論書きましたけど、「自分は正しい」と思うと、人間はどんなことでも平気でやっちまうんだなと思いました。動機の良しあしは関係ない。
異端審問を学んだ結果、「正しさ」と「不寛容」は裏表だというのが持論です。
だから、私は人から正義感が強いとよく言われますが、自分から安易に「正義」とは言えません。自分が怖くて。

ピーター・ベイリッシュ ”リトル・フィンガー”、やっと死んだよ。
もうね、ネッドを逮捕した時から、どうもコイツだろうと思っていたら、やっぱりこいつが始めた話だった。
好きとか嫌いとかではなくて、こいつ殺さないと殺し合いが終わらんわ、と思ったんですよ。だから、処刑と言う形で死んでくれて、正直ホッとしました。ホワイトウォーカーに殺されたりしたんじゃ、安易すぎる。
サンサが言っていたとおり、この男はこの男なりに、キャトリンやサンサを愛してはいました。
でも、ベイリッシュの奥底には、愛したものは手に入らない、って刷り込まれているように思います。
愛したキャトリンはネッドの妻になったけど、ネッドを陥れてキャトリンを手に入れようってわけではない。サンサを愛していると言ったけど、サンサと結婚するわけでもない。
玉座が欲しいというけれど、彼のやることは回りくどくて、本当に王になろうとしているのかわからない。
ベイリッシュは、手に入れるのではなく、手の内で転がすところまでしかしない、できないんじゃないかなと。本気で掴みに行ったら、誰かに取られるんだと恐れているのかもしれません。
ちょっと可哀そうでもないんですが、まあ、最終決戦前に死んでくれてよかったなと。ベイリッシュがいたら、話がややこしすぎるわ。

 

■この人たち、好き

とりわけ好きな人たちです。

実は、私の一番のお気に入りは、ブロンなんですねー。
何故って、この人、自分に正直に素直に生きている。見ていて実に清々しい。
友人でも雇い主でも、すぐ裏切るじゃねーかという見方もありますが、それはあくまで外から見ての話で、ブロンの中では矛盾がありません。
彼にとって、一番誠実であるべき相手は、自分自身だけ。誰にも約束しないし、忠誠も誓わない。だから、裏切ることで心を痛めることもない。
でも、度胸はあるし、残酷でもないし、情もある。自分の心の許容範囲内で、ティリオンやジェイミーとの友情は感じている。そういうヤツだから、ティリオンやジェイミーも、何度裏切られてもブロンを嫌えない。
最初から最後まで自分にブレがなくて、なおかつ幸せに生きてる人って、このドラマの中にブロン以外いませんよ。
言葉の使い方を間違ってると言われそうですが、私にとっては、このドラマの良心のよなキャラクターです。

ブライエニー、他人事じゃないですね。
女性であの体形・容姿、生き方。それを認めてリスペクトしてくれた、レンリーやジェイミーに惚れる気持ちはよくわかる。リスペクトと愛の区別って難しいですが、形にこだわらないのであれば、私はもう一緒くたでいいと思っています。
終盤、こうあるべきだという堅物から、ジェイミーのお陰で柔らかく変化したところは、ステキでした。女性にとって、自分自身を丸ごと受け入れて愛される経験は、人としての自信につながります(女として、というより人)。
最終的に、辛い別れが待っていたとしても。
最後、「王の盾」になっちゃったので、結婚はしないつもりなんでしょうが、恋人くらいはできそうな気がします。

サムの変化も、数少ない気持ちの良いものでした。
黒の城に来たときは、頼りなくてジョンに守ってもらってましたが、少しずつ、自分にできることに気づき、ジリに頼られることで自信もつけていきます。男性は人に頼られることで、人として成長するという、典型です。
男だからって頼られても……という声もあるでしょうが、それは頼られることがツラいんじゃなくて、貴方がとても疲れているだけかもしれませんよ。休職経験者から言わせてもらえば。

結構、泣いたのはシオンの最後。
彼がどこに向かっていくのか、最後までハラハラしていました。
彼はスターク家の捕虜とはいえ、兄弟のように育てられていましたが、実家に戻ったことでスターク家を裏切る羽目になり。
彼は、自分がスターク家なのか実家のグレイジョイ家なのか、ぐらついてるんですね。そこが、彼がスターク家を裏切り、残酷になってしまった所以です。何者かにならねばならない、という思い込みが、彼を苦しめていく。
そこをラムジーが、徹底的に彼の自我を破壊してしまうんですが、ラムジー憎しは別として、シオンにとっては、いったんシオンでなくなる経験は必要だったんじゃないかなと。アリアとちょっと似てますが。苦しみにいったんリセットかけたんですね。
そしてジョンが「スタークでグレイジョイだ」と言ってくれおかげで、彼のどっちの家か問題は終わりますが、今度は「臆病」だの「裏切り者」といった意識が彼を苦しめます。
だから、最後にブランから「君はいい人だ」と言われた時、シオンはここでやっと、自分を許せたんだと思います。
もうね、良かったねシオンと、そういってあげたい。

■最後に 

まあ他にもキャラクターはいっぱいいて、書ききれないんですが。だいたいこの辺でしょうか。
もしかすると、あとから追加するかもしれません。
ホントに、面白かったんです。
リアルタイムで観てた人が、ロスになった気持ちがわかる。
私もこの後、どのドラマ見ればいいのかわからない。

と、思ったんですが、そこまで見越したのか、同僚は新たなドラマのDVDも、そっと忍ばせて持ってきました。
出来る同僚を持つと、本当に困るわ。

※2021/3/21 13:00 誤字が酷いので修正しました。

*1:アメリカの超有名な連続殺人鬼。女性ばかり大量に殺している。魅力的で賢い。

*2:ウェールズが生んだ鬼才。悪役もわき役も、何やっても一味違う。

『ダンケルク』クリストファー・ノーランがやりたい放題になってきた

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さあ、月曜の夜からは『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界に行って、しばらく帰ってこない予定なので、もう一本参ります!(自分でもよく分からない焦り)
MoviePlusで『ダンケルク』やってたんで、つい観てしまいました。観るのは3回目。

クリストファー・ノーランが映画を作ると、毎度、ノーランは天才だ、いや違う、みたいな話が出回ります。最新作の『TENET』も大騒ぎですが、公開時は休職期間に入ったばかりでボロボロでしたから、私は観に行ってません。
観るまではネタバレあるなしに関わらず、なるべく情報は入れないことにしているので細かいことはわかりませんが、また同じようなことになってるみたいですね。

ダンケルク』も、公開当時は結構評価が割れた記憶があります。
「臨場感がある、新しい映像体験だ」
「ドラマがない、人物が薄っぺらだ」
だいたい、この二つになるかなと。これ、どっちも合ってると思います。

あのー、私が思うに、ノーランって、基本的にはシンプルな人なんじゃないですかね。
この人、まずやりたい「コト」があって、それにすべてを合わせるように映画作ってるだけのよーな気がするんですよ。
でなきゃね、どーして『ダンケルク』を、防波堤を1週間、海を1日、空を1時間、なんて、違う時間を平行で語らなきゃならないんですか。
人間の内面を描くことが苦手な監督じゃないのに、いくらでも膨らませられるところを、わざわざスッパリ切り捨てるのはなぜなんですか。

いや、そこに彼なりの色んな理由があるのも意味があるのも、映画表現として意義があるのもわかってる。
でもそれは、コンマ1秒くらいの差かもしれないけど、所詮は後付けの理由だと思うのです。
絶対に、最初に「やってみたい」があったに違いない。
三つの違う時間を同時に描いてみたい、とか。
IMAXの力を限界まで引き出してみたい、とか。

な、正直に言ってみな?
やってみたかっただけだろ?
なあそうだろ、クリストファー(友達?)

で、やりたいことにうまくハマらない要素は、わかっていても切り捨てる。史実と違うとか、あれがないとかあるとか、ゆーたところで聞きやしないでしょう。

ようするに、クリストファー・ノーランという人は、途方もない映画バカなんです。
バカを突き詰めると天才と呼ばれる、良い例です。

ちなみに、私は、ノーラン映画ってだいたい2回は観ます。映画館で2回とまではいかなくても、1回観たっきりにはしません。
1回だけだと、「ノーラン、なんかすごーい!」で、終わっちゃうから。

だって、ノーラン映画って忙しいんだもん。
場所も時間も多面展開するし、出てくる人間は多いし。色んな要素をおせち料理のごとく重箱の中に詰め込んでるんで、一度に全部食うのは大変です。
その上、映像に凝りまくってるから、思わず「はー!」と感心してる間に大事なところを見逃す危険もあり、集中力は総動員。
映画館では一時停止も巻き戻しもできませんからね、観る方も追いつくのに必死なんですよ。
なので、2回目以降でやっと、「今回のノーランは、何がしたかったのかなー」とわかってあげる時間がとれるんです。

別に、私がわかってあげる必要なんかないんですけど、「やりたいこと」がはっきりしている監督って、バカだとわかっていても好きなんで。
そうなると、「やりたいこと」をわかってあげたいじゃないですか、やっぱり。
なんなんですかね、私のこの心理は(人に聞くな)。

まあ、こういう監督は他にもいます。
でも、ノーランの映画バカっぷりがとりわけすごいなーと思うのは、彼の考える「娯楽」と、観客の求める「娯楽」が、微妙にズレてることが往々にしてあることなんですね。
本人は、自分の作品は「娯楽映画」だと本気で思ってるようですが、毎度毎度賛否両論が巻き起こるというのは、やっぱり娯楽のストライクゾーンに球が入ってないからで。

特にこの『ダンケルク』は、脚本に弟のジョナサン・ノーランが加わっていません。クリストファー・ノーランが一人で脚本書いているので、やりたい放題になっている。
弟と二人で脚本書いてる作品*1だと、比較的ストライクゾーンに寄るんですけどね。
誰か手綱を握る人がいるといいんだけどなーと思いつつ、このまま世間の評価に迎合することなく、映画バカ一直線でいて欲しいような気もします。

だから私は、律儀にノーラン映画を観続けるんだよなあ。
劇場公開を見逃した『TENET』も、Amazonプライムの対象になる日など待たずに、金を払って観る予定。
頑張って稼げよ、クリストファー。

*1:プレステージ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』『インターステラー』。特に『インターステラー』は、もっと難しい話になるところを、ギリギリのところで踏みとどまってる良作。